誤審はなくならないのだから

先日の巨人脇谷選手の落球に関する誤審問題が波紋を呼んでいるようですが、この種の誤審は恐らく野球というスポーツがなくならない限り常に起こりうる、と思います(その後の脇谷選手のコメントについては別の論点なので置いておきます)。

 

改めて感じたのはプロ野球であろうとも、草野球であろうとも、頻度の違いこそあれ、審判のミスは起こるということ。そして、草野球でいえば「攻撃側が審判」か「派遣審判」かの選択肢はあるけれど「審判なし」という選択肢はないということ。野球の試合において投手が球を投げないとゲームが始まらないのと同じく、審判の存在は試合を成立させる大切な要素なのです。

 

だから私は審判の明らかな誤審があったとした場合、結果が覆る可能性がよほど高いと判断できない限りはしつこい抗議はしないことにしています。条件反射で「えっ! いまのは・・」くらいは口に出しますけれど(笑)。

 

派遣審判を依頼していても、攻撃側審判でも同じです。完璧なプレーが出来ないのと同様人間である以上、完璧なジャッジも出来ません。ただ、プレー同様で結果は変えられませんが、未来への対処はできます。執拗に抗議を繰り返すことで試合の流れが滞ることや、草野球でいえば2時間という限られたプレー時間が削られることは損です。すぐに気持ちを切り替えてそれを取り返す努力をしたほうが合理的だし、チームのメンバーのモチベーションも高まるのではないでしょうか。

 

お金を払っているのにプロじゃない! という意見もたまに聞きますが、それは私たちが仕事でまったくミスをしないかというのと同様。一人審判で誤審がない試合のほうが多いことを考えても審判に感謝こそすれ文句を言う気になりません。

 

昨年MLBで誤審で完全試合を逃したガララーガ選手とジム・ジョイス審判とのやり取りは感動的でしたよね。日米での審判の権威の違いや謝罪の有無という違いはあるにせよ、潔い(これぞプロだと思います)二人の言動を尊敬します。

http://number.bunshun.jp/articles/-/29572

 

プレイヤーとしてもファンとしても、人のミスも含めて野球を愛していかないと。